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観光スポット「水無瀬地区」
              さらに詳しい説明は「詳細へ」をクリックしてください。
後鳥羽上皇水無瀬宮址の碑   水無瀬神宮の辺りにあった離宮が建保四年(1216)の洪水で「殿舎?倒流出」したので翌年に百山付近に新御所の造営が始まりました。離宮の跡地とされているところに「後鳥羽上皇水無瀬宮址 大正八年 大阪府」の石碑(右写真)が立っています。

〇アクセス:R山崎、阪急大山崎駅より徒歩約30分
水無瀬の滝



見学時間
約10分
 江戸時代の摂津名所図絵などにも記載されている瀧で、落差20メートルあります。
 上半分を女瀧といい、急な岸壁を伝うように流れ落ち、下半分は男瀧で一気に瀧壺へ落下します。戦後に熱心な信者が瀧のかたわらに龍神をお祀りしました。

アクセス:JR山崎、阪急大山崎駅より徒歩約40分
待宵小侍従の碑




  待宵小侍従は石清水八幡宮別当光清を父に持ち、一族に宮廷歌人の多い環境に育った平安末期の女流歌人です。
「待つ宵に ふけ行く鐘のこえきけば あかぬわかれの鳥は物かは」と恋人を待ちわびる胸の苦しみを詠んだものといわれる彼女の和歌は新古今集に収録され、平家物語にも出てきます。
  二条天皇の皇后藤原多子や高倉天皇に仕え、晩年この辺りの寺庵で余生を送ったと伝えられます。慶安三年、高槻藩主永井直清は顕彰碑をこの地に建立しました。

アクセス:JR山崎、阪急大山崎駅より徒歩約45分。





待宵小侍従顕彰碑
宝城庵

拝観時間
約30分
  補陀山宝城庵は臨済宗大徳寺の末寺でご本尊は観世音菩薩、創建年代は不詳といいます。薬師堂内の本尊薬師如来は夢のお告げで、淀川河中に沈んでいた山崎橋の柱でつくり、長治二年(1105)にお祀りしたと伝えられます。事前に申し込めば拝観できます。

アクセス:JR山崎、阪急大山崎駅より徒歩約45分。
電話:075-962-4693


山崎橋の柱で薬師如来を
造る図
桜井駅跡



見学時間
約20分
  桜井駅は西国街道と淀川を渡って対岸の河内の樟葉から高野街道に向かう交通の要所であり、「続日本紀」にある「摂津国嶋上郡大原駅」はこの桜井駅を指すといわれています。
 「太平記」によると、延元元年(1336)九州から大軍を率いて上洛してくる足利尊氏を討つべく湊川に向かう楠木正成が、その子正行に訓戒を与えて河内に帰らせたと場所と伝えられています。大正十年に国史跡に指定されています。

〇アクセス:JR山崎、阪急大山崎駅より徒歩約40分、阪急水無瀬駅より徒歩約7分

 「楠公父子訣別之処」の碑
水無瀬神宮




拝観時間
約20分
  鎌倉時代初期、後鳥羽上皇造営の水無瀬離宮のあったところです。後鳥羽上皇は承久三年(1221)に倒幕の兵を挙げた(承久の乱)が敗れ、隠岐に流され生涯を終えます。上皇が亡くなる13日前に自らの手印を押した置文(国宝)を水無瀬信成、親成親子に下賜し、後生を弔うよう言い残しました。
親子は離宮の地に御影堂を建て菩提を弔ったのが当神宮の起源です。
その後600年にわたり、慰霊の行事が続けられてきたが明治六年(1873)官幣中社水無瀬宮となり、昭和十四年(1939)後鳥羽天皇700年式年に当たり官幣大社に昇格して神宮と改称、大阪府下で唯一の神宮になりました。

 重文の茶室「灯心亭」があります。また、境内には名水百選に選ばれた「離宮の水」があり、水を求める人の行列が出来ます。

〇アクセス:JR山崎、阪急大山崎駅より徒歩約30分、阪急水無瀬から徒歩約15分。
〇茶室灯芯亭の拝観:往復ハガキまたは電話にて1週間以前にご予約下さい。
 〒618-0011 大阪府三島郡島本町広瀬3丁目10-24
 電話 075-961-0078 
 5人以上でお申し込み下さい。拝観一人500円
 年末・年始の12/25~1/25まで休み

     拝殿
粟辻神社


拝観時間
約10分

  古くは粟辻明神といい、鍛冶屋の祖神として惟喬親王と在原業平を祀っています。惟喬親王は文徳天皇の第一皇子でしたが藤原氏の圧力で皇太子でありながら天皇になれなかった皇子ですが、詩歌に長じ、在原業平を伴い水無瀬に時折身を寄せたと伊勢物語にあります。
 親王はこの旧広瀬村では古来鍛冶屋の祖とされ、粟辻一族は祖神と崇め古くは鍛冶屋を勤めました。後鳥羽上皇が金井戸で刀を鍛えた時にはその相槌をつとめたと伝えられています。

〇アクセス:JR山崎、阪急大山崎駅より徒歩約20分。

 粟辻神社