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待宵小侍従の碑
![]() 「待つ宵にふけゆく鐘の声きけば あかぬわかれのとりはものかは」 と、恋人を待ちわびる胸の苦しさを詠んだものとされる彼女の名歌は、新古今集や平家物語にあります。 六十近くで出家、男山の中谷に庵を結んだとか、桜井の里で余生を送ったとか言われています。待宵小侍従の墓と伝えられる五輪塔と慶安三年(1650)高槻城主 永井直清によって建立された碑のある場所は「苔山」とか「待宵の丘」と呼ばれていました。昔は名神高速道路の真ん中辺りにあって、大きな松に覆われていたそうですが、その拡幅により、現在地に移されました。 宝積寺にある室町時代鋳造の鐘は 前述の歌に因み「待宵の鐘」と呼ばれています。 |
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所在地 | 大阪府三島郡島本町桜井三丁目 |