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山崎長者(信貴山縁起絵巻飛倉の巻)

 信貴山縁起絵巻飛倉巻 信濃の國の命蓮という僧が、奈良で受戒をすませ、そのまま大和の信貴山にこもって、
毘沙門天を祀って修業を重ねていた。里にでることもなく秘法をもって鉢を飛ばしては、それに里から食べ物を運ばせていた。
 その頃、山城の國の山崎の長者の家に鉢を飛ばせた。長者はいつもその鉢に施しものをしていたが、ある日家人がこの鉢を米倉の中に入れたまま戸を閉めてしまった。
 この山崎は荏胡麻の油の産地で、長者の家でも「しめ木」(長木・油木ともいう)という油の搾り具が取りつけてあり、八幡宮等の灯明の料に献じていた。
 時ならぬ家鳴りとともに、鉢が倉
の中から飛び出してきて鉢の上に倉をのせ、空に舞い上がり、彼方へ飛んでいった。皆、宙を飛ぶ倉に仰天、長者は驚いて馬で追いかけると、僧の修業している信貴山まで来て、倉はドサッと落ちた。
 長者は僧に「何とも驚くべきことが起こって、倉がここまで飛んできてしまったのです。どうぞお返し下さい」と掻き口説く。命蓮は「それは不思議なことよ。だが飛んできた倉をお返しすることもできますまい。ちょうど、この山にはこのような倉がない。当寺にも是非にも必要だ。だが中の米俵はお望みどおりお返ししよう」という。
 長者はこの倉に積み上げた千石もの米俵をどうして山城の屋敷に運び込んだものかと途方にくれた。命蓮は「運ぶのは簡単なことよ。この鉢に一俵の米俵を載せなされ。瞬く間に鉢が舞い上がり、群雀のようについて飛び立つであろうぞ」と、またも秘法の一計を授けた。
 天の糸に引き上げられるように、鉢が空高く舞い上がったと見るや、倉の中から、米俵がゴロリ、ゴロリと転がりでて、雁が空を連なって飛ぶように一俵残らず長者の家の庭へ元のごとくに帰ったのであった。

       ※信貴山縁起絵巻は平安時代につくられた絵巻で、信貴山朝護孫子寺に伝わる国宝の絵巻で三つの説話からなる。
           その中の第一巻が先の話で、絵一段で詞書き(ことばがき)はないが、物語は宇治拾遺物語等より補った。