[トップページ] [モデルコース] [昼食どころ] [交通アクセス] [ガイド申し込み] 


大山崎町歴史資料館

歴史資料館入り口 大山崎は古代、中国大陸から大和平野へ「文化」が流れ込む「シルクロードの延長線」上に位置していました。平城京、長岡京、平安京の外港として淀川水運の要である山崎津(港)があり山陽道(西国街道)が通る等、水陸交通の要衝でした。

 中世には、八幡宮へ供える灯油としてえごま油の製造・販売を独占し、大きな富を得ました。また、羽柴秀吉と明智光秀の天下分け目の「山崎合戦」があったことはどなたもご存知の有名な話です。その他明治時代になるまで、この町は武家政権による統治ではなく、住民による自治を行なっていたこともぜひ知っていただきたいことです。

 この大山崎の歴史を出土物、資料、映像などでわかりやすく説明しています。
資料館エントランスには大山崎町の航空写真による大山崎町および近郊の地勢と、町の文化財をパネルで展示していますので、ぜひご覧下さい。
 また「大山崎ふるさとガイドの会」のボランティアガイドが原則として常駐していますので、展示の説明をご遠慮なく依頼下さい。無料です。

火舎
古代の部
 行基が開創した寺院「山崎院」に使われていたとされる瓦、平安時代の貴族が用いた「緑釉陶器」、「火舎」等を展示しています。

 平安時代初期の山崎の街の復元模型により、嵯峨天皇の河陽離宮、第4次国府、駅家、相応寺、民家、山崎津(港)、淀川に架けられた山崎橋などの様子がよくわかります。

 
中世の部
 八幡宮の大山崎神人(じにん)がえごま油の製造販売を独占した状況を、絵巻(写真パネル)、古文書、ビデオなどで解説しています。

 小倉百人一首を選んだ藤原定家は、後鳥羽上皇に随行して水無瀬離宮や山崎をしばしば訪れています。このときのことを日記「明月記」に書いており、当時の山崎を知る貴重な史料となっています。また、室町時代、俳諧の祖・山崎宗鑑が山崎に住み、文化サロンを作っていました。 

 


近世の部
 山崎の合戦に勝った羽柴秀吉は天王山に城を築きました。大坂へ移るまで山崎は羽柴秀吉の城下町だったのです。千利休が、国宝の茶室「待庵」を作ったのはこのごろのことです。利休没後400年を記念して造られた実物大の復元模型を展示していますのでご覧下さい。
 江戸時代末期の絵図(山崎通分間延絵図)や、自治組織の構図、織田信長の禁制(複製)なども興味深いところです。また、山崎合戦の様子 をビデオで簡潔に紹介しています。ぜひご覧下さい。

 

所在地 〒618−0071 京都府乙訓郡大山崎町大山崎竜光3番地
大山崎ふるさとセンター2階
TEL 075−952−6288
FAX 075−952−6289
(2008年3月1日から変更されています)
開館時間 午前9時30分〜午後5時(入館は午後4時30分迄)

休館日 毎週月曜日(但し祝日の場合は翌日) 祝日の翌日 年末年始
企画展開催前後に臨時休館となる場合もあります。

入館料 大人 200円  小・中学生 無料  大人団体割引あり
企画展中は料金が変更になることがあります。

ボランティアガイド 原則として事務所に常駐しご説明いたします。(無料)

行事(企画展) ふるさと歳時記をご参照下さい。