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天王山山頂(山崎城址)

 標高270.4m。天王山には南北朝時代のころから城(砦)が築かれていたようです。城跡として残っているのは羽柴秀吉が築いた山崎城(財寺城)のものと考えられています。
 天正十年(1582)6月の山崎合戦で明智光秀を破った秀吉は織田信長の後継者としての存在を天下に知らしめるため、京都の喉元にあたる天王山に城を構え、自らの拠点にしました。この後、秀吉はライバルの柴田勝家を賎ヶ岳で倒したのちに大阪城築城を始め、天正十二年(1584)には、この城は戦に使われることなく取り壊されました。山頂周辺には食い違い虎口、曲輪、井戸などの遺構が残り、付近の竹やぶからは石垣に使われたであろうと想像される五輪の塔、石仏、墓石などがが出てきます。また、平安時代には墓地だったのでしょうか、臓骨器が出土しました。
  山頂から出土した平安時代の臓骨器

<ご注意> 天王山はハイキング用の装備が必要です。山中に「売店」「トイレ」は有りません。